移住したから分かる十和田の魅力:2018年5・6月の八甲田、奥入瀬渓流、十和田湖付近の風景
十和田の自然の魅力:2018年5・6月
個人的な体験をもとにした小さな世界ではありますが、観光名所だけではない十和田の自然の豊かさを、ガイドブックに載っていないような場所を中心に紹介できればと思います。
今回は2018年の5月・6月の風景です。この時期の十和田の魅力は、雪解けで水嵩の増した川や湖、新緑の透き通った緑です。
5月
八甲田の山頂には多少白い部分も残りますが、雪解けが進み十和田湖などには雪解け水などが流入し、水位も高くなります。
湖の畔では、グリーンタフと呼ばれる石灰岩も顔を出しており、透明な十和田湖の水に触れることで、とてもきれいなエメラルドグリーンに見えます。
十和田湖ではカヌーを楽しむことができ、風のない天気の良い日には、影が水底まで落ち、まるで空に浮遊しているようにさえ見えます。
新緑の柔らかな緑と、湖の清々しい青が融合するとても爽やかな風景です。
湖に浮かぶことで、自然に包まれている感覚がより強まる不思議な体験をできます。
5月は、ちょうど田植えの時期でもあります。
田んぼ一面に張られた水が鏡のような効果を果たし、美しい風景が広がります。
気温の上がってくるこの時期は、沢登りを楽しむこともできます。まだ冷たい川に足を入れながら滑らないように慎重に登っていきます。
川沿いをひたすら上ると、同じ川でも色々な表情を楽しむことができます。
6月
梅雨に入ると、雨雲に覆われた中での渓流散策を楽しむことができます。
朝霧によって周囲の彩度が落ちた風景はとても幻想的です。
雨上がりには、岩やそこに生える苔が鈍く黒く光り、しっとりとした風景を楽しめます。
雨水で青々とした木々に包まれます。
十和田湖は水力発電を行っているので、周囲を流れる川は、十和田湖と同じ水位にて水量調整のために堤防を設けています。
その堤防を越える場所まで川を登ると、流れる水に濁りの少ない源流を楽しむことができます。
光が透過し、水は青く見えます。
滅多に人が入らないため、自然の荒々しさも残っています。
光と影のコントラストで、水の色が大きく違って見えるのも、透明度の高い源流の特徴です。
終わりに
十和田の市街地も公園や道路沿いの並木、防風林など多くの木々に囲まれているので、フレッシュな新芽に囲まれた公園などが恋しい季節です。
奥入瀬渓流を歩いていても木洩れ日がとてもきれいです。川の流れを身近に感じながら、程よく涼しい気温の中の散歩は日々の疲れを忘れさせてくれます。
桜の開花も全国平均に比べると遅く、年にもよりますが、4月下旬から5月の大型連休にかけて見ることができます。
次回は遅い春の後にやってくる、東北の短い夏の景色を紹介できればと思います。
移住したから分かる十和田の魅力:2018年1~4月の八甲田、奥入瀬渓流、十和田湖付近の風景
十和田の自然の魅力:2018年1~4月
個人的な体験をもとにした小さな世界ではありますが、観光名所だけではない十和田の自然の豊かさを、ガイドブックに載っていないような場所を中心に紹介できればと思います。
今回は2018年の1月~4月までの風景です。この時期の十和田の魅力は、雪や氷の白い世界と、春の芽吹きです。
1月
氷瀑と呼ばれ、滝が凍る現象です。
奥入瀬渓流の本流にある滝は、水量もあり、湖から湧き出る水などにより水温もあるので、凍りにくいですが、支流にある滝では氷瀑が起こりやすいです。
滝の流れが完全に凍るまでは、氷柱のようにどんどん伸びていきます。
中でも、水量の多い滝が凍ると圧巻の風景です。
2月
初旬の寒さのピークから下旬に向け徐々に和らいでいくような季節です。
引き続き奥入瀬渓流の本流から、いくつかの氷瀑を見ることができ、馬門岩の氷瀑は有名です。
1月に降った雪なども残っていて、山間部の雪の量は2月が一番あるかもしれません。
3月
八甲田の麓では最低気温が氷点下以上の日も多くなり、雪の下で眠っていた植物たちが目を覚まします。
八甲田の中腹にある沼は、まだ水面が凍った上に積もった雪が残っていて、湖面を歩くこともできます。
下旬くらいになると熊も冬眠から目を覚まし、残っている雪の上に熊の足跡を目撃する方も出てきます。
4月
小さな川なども流れを取り戻し、水芭蕉などが顔を出し始めます。
八甲田のゴールドラインも冬季の閉鎖期間を終え、雪の回廊として高さ5m前後の絶壁で迎えてくれます。
睡蓮沼では、まだまだ積雪量も多く、半分以上埋もれている樹木も多く見受けられます。
山頂では5月初旬の連休までスキーを楽しむ人もいますが、概ね4月で雪景色ともお別れになります。
終わりに
十和田の市街地はというと、一回の冬あたり雪掻きをするのは、多くて10回程度のように思います。
市街地の積雪量はそれほど多くなく、東京から移住した私たちにも暮らしやすいです。ただ、八甲田からの吹きおろしや太平洋からのヤマセなど風の影響もあり、最低気温は-15℃に達するような日もあります。
道路が凍結するので、朝夕の運転には神経を使うような時期です。
4月に湿ったドカ雪が一回降ると、それは冬の終わりを告げ、そのあとは気温もどんどん上がって春まっしぐらになります。
次回はそんな春から夏への景色を紹介できればと思います。
移住したから分かる十和田の魅力:観光名所だけではない自然の豊かさ
車で30分走れば体験できる美しい自然
私たちの移住先は、十和田市の中でも比較的市街化されている、中心街の一角にあります。市役所や図書館、美術館などは歩いて15分ほど。東京の感覚で言えば、最寄り駅まで歩くようなイメージでしょうか?
また、ご多分に漏れず車社会でもあり、東京にいるときには週末くらいしか利用していなかった自動車も毎日のように利用することになります。
そのような暮らしの中で、奥入瀬渓流や十和田湖、八甲田山などの観光ガイドブックに載っているような自然豊かな場所にも、車で30分ほど走れば行けるという贅沢を知り、時間を見つけては足を運ぶようになりました。
観光地としても有名だとは思いますが、さすがにオフシーズンの平日などは人もまばらで(土日ですらガラガラの時もあります)、この豊かな自然と1対1で対峙できるような贅沢な時間を過ごすことができます。日常の喧騒をリフレッシュするにはもってこいです。
自然の良いところは、ありきたりな言葉で言えば、春夏秋冬で違った表情を体験できること。
十和田の場合は、八甲田付近は冬にしっかり雪が降るので、またそのそれぞれの季節にメリハリがあって、いつ行ってもマンネリ化しない良さがあります。
もう少し細かく目を光らせると、朝日なのか夕日なのか、晴れなのか雨なのか、などちょっとした時間や天候の違いでも、川を流れる水の量や透明度、反射によるキラメキや霧、木洩れ日など様々な自然現象を体験できます。
移住初期はガイドブックに載っている名所を巡るような日々でした。
そのような場所は、良くも悪くも、、、とてもアクセスが良く、車で行ってちょっと歩けば体験できるような気軽な場所が多いように思います。
もちろんガイドブックは観光客をターゲットに作られています。旅で訪れた僅かな時間で最大限に魅力を堪能してもらおうとしているので、その趣旨にはとても良く沿っていると思います。
(たかだたか2年目ですが)「地元」として何度も訪れていると、どんどん好きになり、他にももっとステキな場所は無いものか?
もっとディープな場所に行ってみたいな、と思うようになってきました。
岩木登「普通の人が行けるところで写真を撮ってもつまらない 」
そんな折、移住者と地元の方との交流の場でもある、「シャベリ場屋台」で写真家の岩木登さんとの出会いがありました。
知り合い0で十和田に移住して苦労したこと、助かったこと:友達編 - 日々の暮らしと建築と
岩木さんは、焼山エリアにスタジオを構え、ネイチャーフォトとして奥入瀬、八甲田、十和田湖周辺の写真を撮っています。
何となく存在は聞いたことがありましたが、実際に会って話をしていると、人間味があってとても面白いおっちゃんで、、、(笑)
見出しは、その時に会話していて私が岩木さんに魅かれた一言です。
地図を見て、ここに面白そうな滝がありそう、ここからあの場所を撮ったら面白いんじゃないか?など想像を膨らませ、道なき森の中を地図と方位磁石、高度計を頼りに探検しているようです。
時にはテントをもって、現代の人が行かないような奥地にもどんどん探検しに行って写真を撮る。
もうこの時点で他の人にはマネのできない、十和田の本物の自然を撮れそうな気がしますよね。
そんな岩木さんは写真塾なるものを開催し、月に2回ほど塾生の方と一緒に写真を撮りに出掛けているとのお話を聞き、これはもう入るしかない!と、すぐに入塾を希望しました。
十和田湖の飛沫氷
初めての撮影は、2018年1月中旬に十和田湖の飛沫氷(しぶきごおり)でした。
飛沫氷とは、湖の水が風邪などで波立った際に、淵にある岩や樹木の枝に付着して凍る自然現象によるもので、寒さや風などに影響を受けます。
飛沫氷なんて言葉すら初めてで、現物を見るのも初めてだったので、早速入塾した効果ありの経験ができました。
この日は午後3時頃に現地集合し、日没と飛沫氷を撮ろうというものでした。生徒は大体10~15人程度。簡単なレクチャーなるものの後、自然と思い思いの撮影スポットを見つけ、各自撮影に入るというものでした。
「えっ、カメラの設定とか撮影のコツとか、色々と教えてくれないの?」と戸惑いながらも日没は待ってくれません(笑)
当時は何となくで、必死に撮っていたように思います。
撮影が終わると、各々の成果をFBで報告。岩木さんの写真はもちろんのこと、他の塾生の方も飛沫氷や十和田湖、夕日、そのあとのブルーモーメントなど、本当に素敵に撮れていて感動したのを覚えています。
最後に
そんなこんなで、入塾から半年以上が経ち、座学でカメラ設定やデジタル現像に関するレクチャーなども受け、少しだけカメラの腕も進歩してきました。今でも月に2回ほど、知らなかった十和田の魅力に出会うような日々を過ごしています。
どんなまちでも言えることだとは思いますが、観光で一時的に訪れる際に感じる魅力もあれば、暮らしているからこそ出会えるその場所、その瞬間ならでは魅力もあると思います。
今回は写真家の岩木登さんに教えて頂いた十和田の魅力ですが、また別の方を通すと違った魅力を発見できるかもしれません。もしかすると私たちならではの視点で新たな十和田の魅力をお伝えできる日が来るかもしれません。
そのような魅力について、今後も継続的に記事を更新していければと思います。
石拾い:3つの海(日本海・陸奥湾・太平洋)に面する青森の魅力
青森に移住して石拾いという新たな趣味ができました
キッカケは三戸の南部町にある「Galleryたなか1890」さん。
庭の飛び石の間に敷き詰めてある色とりどりの石がとてもキレイで、どこで手に入れたのかをお伺いしたことから始まります。
1回目
何となくの石拾いスポットをお伺いし、津軽海峡に面する海岸へ行ってみるも、、、
初めての石拾いは、完全に時間を読み間違えてしまい、、、開始が夕方からとなってしまいました。
あまり時間をかけられませんでしたが、その時間はとても楽しいものでした。
浜は基本的に砂で、ところどころに砂利が集まっているような感じでした。浜にはワカメ系の海藻もちらほら見受けられ、周囲には密漁禁止のノボリも。
石は沢山転がっていますが、ちょうどよいサイズ、色、丸み、肌触りや、ゴツゴツした感じなど、様々な表情の中から目に留まる石たちを選ぶのは、結構集中力も必要で、、、
気が付いたらあたりは真っ暗というくらい熱中してしまいました。
夏だったので、海辺で潮騒を聞きながら過ごす時間も、とてもリラックス効果があるのだと思います。
2回目
今度は陸奥湾に面する浜で、浜全体が砂利浜になっている場所へ。
砂が無いので海水浴にも適しているためか、泳いでいる人も何人かいるような場所でした。
全部が砂利なので、ここは!と大きな成果を期待していました。
今振り返っても、今までで一番多くの石を拾った場所でした。
基本的には丸いものが多く「拾ってくれ!」と主張してくるような個性豊かな石に加え、よくよく目を凝らすとゴツゴツしているものまであるので、炎天下のもとかなりの時間を楽しんだように思います。
飲み物を持っていくのを忘れ、、、帰りに自販機を見つけると、ペットボトルを一気飲みしてしまうくらい楽しんでたようです。
3回目
今度は1回目に訪れた場所から、少し北へと浜をずらしました。
多分数キロしか離れていないにも関わらず、浜の雰囲気は大きく違いました。海藻も少なく、一部砂利浜状態の場所もありました。
しかし、ここの砂利浜はこぶしサイズの大きめな石が多く、釣果ならず石果は少なかったです。
子どもは拾った石を海に投げて遊んでおり、今までで一番楽しんでいたように思います。
4回目
今度は字と図の吉田家の皆さんと日本海側の海岸へ。
途中で林に囲まれ舗装されていない凸凹道を抜けると一面の海。
結構広めの海岸で、基本は砂浜ですが、多くの砂利が波に乗って運ばれているようです。釣りを楽しんでいる方が多い印象と、お隣の国からのものなのか、、、プラスチック系のゴミも多かったです。
ここでは今までの海辺では見られなかった、透明で白っぽかったり琥珀色をしているような、きれいな石が多かったです。
最後に
拾った石は持ち帰って水洗いをして、色や形、サイズに応じて少しずつまとめています。
浜で海に浸かっている時にはきれいに見えた石も、乾燥すると冴えない印象になるようなこともあります。
その中でもお気に入りの石たちは、事務所の一角に添えてあります。
石を拾いに行く過程(ドライブ)、潮騒を聞きながらの石拾い、帰って選定しながら飾るなど、どの段階を切り取ってもそれぞれの楽しみ方があり、休日に家族とリフレッシュ&エナジーチャージにはとても良い催しとなっています。
疲れている時には、ただじっと海を見つめているだけでも良いかもしれません。
今度海に行く機会があれば、ぜひ足元の石にも注目してみて下さい。
知り合い0で十和田に移住して苦労したこと、助かったこと:友達編
知り合いが全くいない町にいきなり移住しても暮らしていけるの?
今回は十和田に移住してからの今までの2年半の暮らしについて、お話しできればと思います。今では移住2ヶ月後に生まれた長男も2歳半になりました。
・知り合いゼロから友達できるの?
・生活は成り立っているのか?
など、これから移住を考えている方々の不安になっている部分について、私たちの場合はどうだったかを書くことで、少しでも参考になれればと思います。
今回は友達編ということで、どのように人の繋がりができたのか、振り返ってみようと思います。
移住までの流れ
私たちは、移住前にそれぞれ別の事務所で建築の設計をしていました。結婚をキッカケに夫婦で一級建築設計事務所を開設して一緒に働こうとしていました。
また、同じタイミングで横濱家がお父さんの定年を機に、故郷である青森県の野辺地町にUターン(高校生ぶり)することになり、その住宅を横濱が設計して、完成間近でした。
渡部環境設計事務所|watabe and associates / environmental design and architecture
そのようなタイミングで、住宅の建設に携わる方々を通して青森県の建築関係の知り合いができ、「青森県は建築家が少ないから、こっちで開業してみたら?」という軽いお誘いを真に受けて、1年後くらいには本当に移住していました。
ちなみに私たち夫婦はどちらも十和田には縁がなく、野辺地の家の現場監理をしながら、建築的にも行ってみたかった西沢立衛さんの十和田市現代美術館を見に行く、というのが初めての十和田訪問でした。隈研吾さんのトワーレもできたてで、これから安藤忠雄さんの図書館もオープンするというタイミングで、建築家目線ではとても面白い街だなとの印象を持っていました。
今では、市役所が移住促進で企画しているお試し移住のできる企画などもありますが、、、多分私たちが移住を検討している際は、その様な企画もまだ整備途中だったので、飛び込みで入った不動産屋さんに町の特徴などを聞きながら、どの辺に住んだら子育てや仕事がしやすいか考えていました。
移住を決めるまでの詳しい情報は、下記のインタビュー記事も合わせてご覧頂ければと思います。
私たちのほかにも十和田に移住されている方々は沢山います。お仕事も様々なジャンルの方がいるので、そちらを見るもの面白いと思います。
■十和田市さんの移住サイト、「日々コレ十和田ナリ」のインタビュー記事
移住後半年くらいの流れ
一番最初は、やはり友達が一人もいないまちで暮らすことへの不安があると思います。
休日に友達に会って食事でもとりながら、たわいもない会話を楽しむ。という今まで当たり前だったことは全然なく、、、そんな日常を共有できる友達がいないとストレスも貯まる一方、となりそうですが、、、
私たちの場合は、どちらかというと楽しく過ごせていたように思います。その一番の要因は、移住して2ヶ月後に出産予定日だったということがあります。
どこの家庭でも同じだと思いますが、出産の直前は産休を取り、家でゆっくり過ごすという過程を経験すると思います。移住と出産までの期間が短かったことで、ちょうど田舎の実家に帰るような感覚にも似ていて、その間の2ヶ月はとてものんびりと過ごせました。
友達がいない不安よりも、初めての出産に対する不安や期待が大きかった。また、出産後は自然に同年代の子を持つママ友ができるだろう、という期待もあり、ワクワクしていたようにも思います。
出産後は、子供中心の生活となり、友達がいないストレスなども感じていませんでしたが、、、「あれ?結局外に出ないと友達もできないよね」となり。赤ちゃんと参加できるママヨガに参加することになりました。
そこは、0~1歳程度の赤ちゃんをもつお母さんが15人程度参加するヨガで、隔週くらいの間隔で開催されていました。ヨガの最中は、子育て支援の方々が子供の面倒を見てくれます。また、ヨガ講師の安斉香さんも私たちより6年前に移住した移住の先輩でした。何度か参加をすると少しずつママ友達や出産を機にUターン移住をしてきた友達もできるようになってきました。
十和田市の移住事業「日々コレ十和田ナリ」
そして状況が大きく変化したのは、地域の町内会が開いている夕涼み会に参加した時のことです。
同じ町内会に小沢さんという写真家の方がいて、お話をしていると「面白い人が引っ越して来たってことを、役所に紹介しなきゃ!」と話が進み、、、次の週には役所に掛け合ってくれていました。
小沢さんは役所に友達がいて、その方に紹介してくれるのかな?と思っていたのですが、、、知り合いなど1人もいないけど、移住促進をしている政策財政課に宣伝をしてくれました。
後日、小沢さんも交え役所に行くと、「現在移住促進のための企画を進めているので、可能であれば協力して欲しい」との依頼を受けることになります。
そうして、先にも紹介した十和田市の移住特集の「日々コレ十和田ナリ」という企画のインタビューを受けることになりました。
まだ、十和田では仕事の実績がありませんでしたが、取材対象に選んで頂くことで、少しでも多くの方に私たちのことを知ってもらうキッカケになっていて、本当に助かりました。(後日、この記事をキッカケに仕事依頼された方もいます)
その時担当だった、政策財政課の職員の方々は、今でもお付き合いのあるとても親身な方々だったことも幸運でした。「仕事」という垣根を越えて、プライベートでもお話しする機会があるなど、十和田が地元の友人としてとても助けてもらっています。
「字と図」の二人との出会い
また、この「日々コレ」を通してもう一つステキな出会いがありました。
それは、同じく取材の対象であった「字と図」の吉田家の皆さんとお友達になれたことです。
ライターの千枝子さん(字)と、グラフィックデザイナーの進さん(図)の二人で「字と図」というユニットを組み活動されています。十和田は千枝子さんの故郷ということもあり、私たちよりも3年ほど早く十和田に移住していました。
デザイン関係ということで、私たち親同しの興味の幅も近かいということもありますが、何よりも良かったのは、吉田家にも私たちの息子と同じ年の子供がいる(小学生の長女と、1歳の長男)ということで、次第に家族ぐるみで親しくなりました。
吉田家が十和田に来た際には、同じように移住してくる人も少なかったようです。進さんは、もともと東京でグラフィックデザインの会社を経営していましたが、地方ではデザインの仕事なんて無いよね?との思いから、家族を養うために鳩正宗という地元の酒造に就職するなど、決して楽な生活では無かったといいます。
しかし、進さんの持ち前の社交性や千枝子さんの幼いころからの友人を通してどんどん友達が増え、少しずつデザインやライターの仕事をもらえるようになったようです。その後2年ほど勤めた鳩正宗の仕事を辞め、個人から企業・行政までの仕事をこなす県内でも有数のデザインユニットになっています。
そんなお二人に出会えたことで、色々な面白い友達を紹介頂き、知り合いの幅はどんどん増えていきました。
シャベリ場屋台
また、移住1年目の冬、11月頃から定期的に始まったイベントがあります。
それは松本茶舗さんという、普段は旧4号線のアーケード街で、茶器の販売などをしているお店の店先で、月に1回のペースで開かれる夜会です。
大体夜の7時~10時くらいで開かれ、ルールは一つ、一人一品食べ物でも飲み物でも良いので持ってくるというものです。いつ来ても帰っても良く、たまに通りを歩いている知り合いや見ず知らずの他人を巻き込んだり、とてもカジュアルなイベントです。
ヨガでお世話になった安斉香さんの旦那さんの将さんは、奥さんに連れられIターンにて移住してきて、イラストレーターとしてのお仕事をされています。その安斉さんが、ウマジンという被り物(コミュニケーションツール)を製作し十和田のまちを盛り上げるのに一役買っています。その安斉さんのウマジンを店内に展示している縁もあり、仲の良いお二人が組んで、このような夜会を開催することになり、私たちも声をかけて頂くことになりました。
最初は安斉さんや松本さんの友達が集まる小さな交流の場だったのですが、次第にこの屋台の話が人づてに広まり、私たちのような移住者や地元の方など多様な方々が集まるようになりました。いつ行ってもおなじみの方にお会いできたり、初めましての知らない方に出会えたり、とても変化に富んだイベントです。
十和田の冬は寒く、、、氷点下になることもありますが、、、1年以上経つ今でも続いているのは、その様なカジュアルさかもしれません。
最後に
こうして振り返ってみると、なんだかタイトルでは苦労したこともあるような雰囲気ですが、、、あまり苦労することなく、良い出会いに助けられながら、友達のネットワークを築けて来たのかなと感じています。
移住前から、地方都市は人口が少ない分、人と人の結びつきが強いという印象をもっていました。誰かキーになるような面白い人と出会えると、その方のネットワークに参加する形で友達の輪が広がる。そのようなイメージで一気に増えていった印象です。
私たちにとっては、吉田さんや安斉さんのような先輩移住者がキーになって下さり、それぞれが独自の面白い友人ネットワークをもっていることにも、とても助けられています。
また、その様な場に参加する際に、「私たちはこうゆう人です」と自分をPRできることも重要かと思います。たまたま建築家という職業で独立しているような方が少ないまちだったので、新しいジャンルが来たな!という感じで受け入れてもらったのも大きかったと感じています。
また、まちによっても人柄というのは違うのかもしれません。人と人の結びつきが強すぎて、地縁を大切にするようなまちでは、移住者はよそ者として煙たがられるかもしれません。私たちが移住した十和田は、まちができてから150年程度と歴史も浅く、そもそも移住者の集まりのようなまちでもあるためか、よそ者にも温かく対応してくれます。(私たちが出会った人が、たまたま温かい方ばかりだったのかもしれませんが、、、)
いずれにせよ、移住して最初に友達がいないのは当たり前です。まずは人が集まる場に参加して積極的に話しかける、そんな勇気があれば自然と友達も増えていくのだと思います。その中からキーになるようなステキな出会いがあれば嬉しいですね。
もしかすると引かれたり、いやな思いをすることもあるかもしれませんが、その様な行動を繰り返しているうちに、良い出会いはやってくるのだと思います。
「苦労したこと助かったこと(仕事編)」へ続く。。。
設計中に考えたこと:十和田のアパート編
十和田市内に建設予定のアパートについての記事です。
アパートと言っても40坪程度の個人住宅規模の建物を、2つの住戸で構成するとてもとても小さなアパートです。
ここでは「屋根の形状=天井の形状」となることで、人の活動とどのように関わっていくことができるか?ということについて考えたので、その過程をご紹介できればと思います。
概要と要望
一番最初に頂いた要望は、3~4住戸を車庫付きで計画したいとの要望でした。 設計依頼当初は既存の木造住宅が敷地いっぱいに建っていて、工事費用などでメリットがある場合は、リノベーションする方針も考えて欲しいとの事でした。
ただ、車庫を住戸数に合わせて取ろうとすると、既存の建物を最低でも1/3ほど壊す必要がある点と、既存建築の検査済証が無かった点から、既存を生かす場合の方が設計も工事費用もハードルが高いと判断し、新たに建てることになりました。
予算は収益物件であることから、かなり抑えめであったため、構造形式としては木造を選択せざるを得ないような状況でした。
そのため、車庫も青空駐車とすることで極力費用を抑えるよう検討を開始しました。
敷地の状況
敷地は、間口約8mの奥行き約17m程度の長方形です。
西面が接道しており、南側の敷地は現在空いていますが、土地の持ち主によると将来個人住宅などを建設予定となっています。
駐車スペースの面積を最小限にして、なるべく住居スペースを確保しようとすると、車庫は道路に面して串刺し駐車にするのが最も効率よくできそうでした。間口から判断しても、最大で3台停めるのがやっと、との判断から4住戸は諦め、3住戸のアパートを検討することになります。
予算から逆算して、今回は40坪ほどの床面積を確保するのがギリギリということが分かり、13坪(約43㎡)/1住戸の割合で配置する必要があります。
2階建てか3階建てか?
3階建ての場合、1~3まで同じプランを積み重ねれば良いので、設計は楽ですが、共用階段を設ける必要があり、限られた床面積の多くを失ってしまうことになります。特に1階に住む方にとっては、直接地面からアクセスできるにも関わらず上階に住む方のために住居面積が狭くなってしまうので、今回の坪数から考えて得策ではないと判断しました。
雪国の共用階段ともなると、吹きさらしの外部階段は上り下りに危険が伴います。また鉄骨階段など、構造種別を増やすのも費用的な面で断念せざるを得ませんでした。
2階建ての場合も、それぞれの住戸がメゾネットとして内部階段を持つことになるため、住戸面積が圧迫されてしまうという問題点もありました。
設計趣旨
このような条件のもと、40坪の2階建てのヴォリュームに3住戸で住まう場合の検討が始まりました。
最初に考えたことは、各住戸が持つ階段というデメリットをメリットにして、縦方向に広がりのある住空間を作ることです。
階段を室にすることで閉じるのでなく、リビングなどの居室に出すことで吹き抜けを作り、1階から2階までが大きなワンルームになるような住宅です。
高さ方向も合わせて広く使えることで、狭さを補おうと考えていました。
また、平面的に1つのヴォリュームに3住戸を入れようとすると、北向き、南向きなど、住戸によって日当たりに大きな差が出てしまうという問題もあります。
その点も、2階の空間を階段をかいしてズラしながら配置することで、1階は北向きだけど、2階は南向き、というようにそれぞれの住戸の差をなるべくなくすように検討しました。
スタディ
このような住居配置が見えてくると、外観も含めた建物全体のヴォリューム検討になります。
3つの住戸がそれぞれ外観にも表れてきて、それぞれが屋根を持つことで、一つの建物だけど3つの住戸が集まって暮らしている様子が外からも感じられるように考えました。
人が集まって住むアパートやマンションは、同じプランの繰り返しにすることで効率よく収益を上げることができると思いますが、その表情はとても均質で、無味閑散としたイメージを与えてしまいます。
街に対してその様な冷たいイメージを与えるよりも、暮らし方が外観となって現れて、街に対してもその建物らしい表情を作れればと考えました。
設計条件の変更
さて、今回のプロジェクトは、ここまで来て大きな方向転換を迎えます。
40㎡という居住空間を断面的に広く使えるようにすることで、少しでも狭さを解消しようとの試みでしたが、やはり1住戸当たりの居住面積をもう少し増やし、車も1住戸当たり2台停めれる方が特色のあるプランとして売り出せるのではないかとの事業判断が下りました。
結果として、住戸数を1つ減らし、2住戸+駐車スペース2台分という条件に落ち着きます。
基本設計の終了間際での、初期条件の大きな変更となってしまいましたが、、、お施主さんの考えていることに私たちも納得することができ、また、本当に良い建物を作りたいというお施主さんの想いも伝わってきたので、再度1から検討をやり直しました。
設計趣旨2
車庫に関してはそれぞれ2台の合計4台となり、間口的に4台を並べるのは困難でした。そこで、縦列駐車となってしまいますが、1階はシンプルに南北に分割して2台ずつ2列に配置することにしました。
中でも奥の1台は、2階に建物があるピロティ形式とすることで、冬季は車の雪下ろしなどの負担を軽減することもできます。
2階は、それぞれがL字の組合せのようなプランとすることで、お互いのリビングが南に面することができるように計画しました。
スタディ2
検討当初は、3住戸の時のようにそれぞれの住戸の配置から屋根のヴォリュームを分節するような案や、各部屋単位で屋根の形状を分節するような方針にて検討を進めていました。
しかし、屋根を分節することが、2つの住戸の内部での活動とあまりリンクせず、ただの形遊びのようになってしまっていることに気づきました。。。3住戸だった際のコンセプトを捨て、改めてスタディの方針を変えてみることにしました。
青森に来て、多くの建物を見て感じていたことの一つに、建物の屋根形状に関することがあります。建物の雪下ろしの手間を減らす観点から、こう配屋根を採用する建物が多く、普通の木造住宅で陸屋根を採用するケースは極めて稀であるように感じていました。
この地域の特徴でもあるこう配屋根を活用し、内部の活動ともマッチする組合せを見つけられれば、他には無いこの建物らしい表情を作れるのではないかと考えたのです。
そこからは1枚の屋根を折ることで屋根を構成し、その屋根形状とプランの整合性をチェックしながら検討を進めました。
プランの方針は概ね決まっていたのですが、その住居を利用する方が、その室名通りに部屋を利用する必要はありません。
人によっては、リビングで寝たり、寝室で仕事をしたり、お風呂でTVを見ながら寛いだり、生活の仕方は様々です。
「気持ちが良いからここでご飯を食べたいな」、「落ち着くからここで寝たいな」、など空間のあり方によってその人がそこでの活動を選択できるような、そんな場所の多様性を作れれればと考えました。
屋根形状と内部空間の関係性
通常の勾配屋根の建物では、勾配部分は小屋裏として隠されてしまい、フラットな天井になっているケースが多いと思います。
ここでは、屋根の勾配をそのまま室内の天井とすることで、空間に変化を付けています。
建物の天井が低いと落ち着いた感じ、高いと伸び伸びして気持ち良い、外に向かって高くなると高揚感があるなど、天井のあり方によって、何を感じ、どのように過ごしたくなるか?
そんなことを考えながら形状を決めました。
最終的には、nLDKという表記のもとに間取り図が作られて、賃貸の募集がかけられます。しかし、実際に入居される方が室名を越えて自分らしい暮らし方をしてくれる、そんな建物になって欲しいと思います。
夜の森で発光するキノコ「ツキヨタケ」の観察(南八甲田)
暗い森の中で、緑色に光るキノコの群れ
八甲田の自然では、このような神秘的な景色に出会うことができます。
と言っても、、、肉眼ではボンヤリと白く見える程度です。
カメラを使って長時間露光した際に、このような緑色に光って見えます。
ツキヨタケは、ブナなどの枯れ木に群生します。
枯れ木と言ってもキノコが成長するための栄養も必要で、枯れてから1~5年程度の木に生えるケースが多いようです。
また、成長のためには日光も必要で、深い森の中というよりは、車道や林道沿いなど、程よく日が当たる場所にて多く発生するようです。
発光のピークはかさが十分に開いて2~3日程度とのこと。
晩夏から秋にかけての季節の変わり目にだけ見られるキノコです。
撮影の際には全てのライトを消して、露光が終わるまではジッと待機。
この季節の八甲田には熊もいるので、危険と隣り合わせとなってしまうため、撮影に向かう際には複数人での行動がお勧めです。
また、この緑色を見ると食べたくなくなるような気もしますが、一応毒キノコです。
似たような食用キノコもあるので、食べないように気を付けてください。