安藤忠雄さん設計の国際芸術センター青森/ACACへ
未完の庭、満ちる動き
場所は青森市の街中と八甲田山の中間、八甲田の裾野にあります。十和田からは八甲田を迂回していくか、山越えをするかの2択に。今回も直線距離も短い山越えを選択して、1時間30分程度のドライブです。
ACACは青森公立大学の付帯施設として、同じ敷地内にあります。アートを展示する展示棟と、アーティストが泊まって製作できるように、創作棟と宿泊棟があります。
駐車場からのアプローチは、展示棟より有名??かもしれない、四季のアーケードをくぐって向かいます。
敷地の周囲は自然に囲まれているので、上記4つの点在する施設が散策路で結ばれています。
さらに散策路には20を超える屋外彫刻も設置されています。
今回はアブなども多く断念しましたが、彫刻や自然を堪能しに散策路を一周してみたいと思います。
展示棟では国内外の4組のアーティストによる展示が行われていました。
ここの展示には何度も足を運んでいますが、「無料」であることも大きな魅力だと思います。
堀川すなお氏
ギャラリーAでは入ってすぐに堀川すなおさんの作品がありました。りんごを題材にした作品です。
りんごという物質を観察するとどのような発見があるか?形による光の反射具合、質感、色の変化、中と外の関係など、青森在住の方の協力を得て、言葉や絵で表現してもらい、それを作家の堀川さんが読み解いたものをドローイングに落とすという作品です。
ある物の理解とは、その人の経験や性別、年齢、国籍、文化、あるいはその時の心情などによって異なると思います。「りんご」の印象も人それぞれ。
そこにさらに堀川さんの再解釈を持ち込み、ドローイングとしての作品に昇華させます。
私には、この再解釈という手続きが「誤解」もテーマになるのかなと思いました。
設計をしていると「口設計」というワードが出てきます。普段は頭の中で思い描いていること(空間、ディテール、素材など)を図面にて表現して、意図を伝達することが設計業務の基本となります。
しかし、図面化することの労力を惜しみ、口頭で相手に伝えようとする際、共通認識などの共有感が近い人には伝わりますが、場合によっては間違ったイメージとして伝わってしまうこともあります。口頭という抽象の世界を図面という具象に落とし込む手続きに、その人なりの個性が出てしまうからです。
もちろん、それは建築家としての個性にも繋がるもので良い面もありますが、意図伝達としては間違って伝わってしまうと失敗です。
堀川さんの作品に話を戻すと、この「失敗」や「誤解」すらもアートの世界では作品としての強度を持つように思います。むしろそこに堀川さんの個性として新しい解釈が内在する点が面白いのかもしれません。
サヒル・ナイク氏
建築模型のような彫刻作品が展示されています。
建物は、記憶を後世に伝えたり、新たな始まりを担う記念碑的存在として個人だけではなく国家単位で進むようなプロジェクトもあります。
そして、産業革命後の現代建築の多くは、コンクリートや金属、ガラスなどで構成される建物が増えています。そのような建築の側面から、繰り返される歴史の中で、近代化や開発がいかに進められてきたかを読み取ることを主題としているようです。
日本でも、戦後は「お国のために」という言葉が代表するように国民意識が強く、国の権力を誇示するような、威厳のある建物も多くつくられてきました。
しかし、その様な建物はいつからか「箱もの」と呼ばれ市民権を得られなくなりました。「権力」よりも「誰でも使える」ような、市民に寄り添った少しフランクでカジュアルな施設が求められるようになっているのが、現在の日本なのではないでしょうか?
例えば同じ復興でも、1945年の第二次世界大戦が終戦した後の復興と、2011年の東日本大震災後の復興では、誰のための建築か?という問いが大きく異なってきていると思います。
作家はインド生まれで、建築に対する理解や建築がもつ影響力についての認識は異なると思いますが、今の時代の日本の建築に対する認識を切り取ると、どのような作品ができるのか?興味がわきました。
ガブリエラ・マンガノ&シルヴァーナ・マンガノ氏
双子の姉妹による映像と彫刻からなる作品です。
映像は時間もなくあまり見れませんでしたが、1911~1916年にかけて発行された、情勢による女性のための月刊誌「青鞜」の創刊号に掲載された、与謝野晶子の詩「そぞろごと」の一節がモチーフとなっているようです。
奥には彫刻作品があり、社会の中で女性が辿ってきた時間を表現しているようです。
過去と未来が接合する部分に現在がある。との解釈から作品を見ると過去も現在も下り坂のように見えてしまい、、、今を生きろというメッセージなのか?
私にとっては、判別の難しい作品でした。
鈴木基真氏
ギャラリーBには鈴木さんの彫刻があります。
(写真を撮り忘れました)
鈴木さんが幼いころから親しんできたアメリカ映画やゲームに登場する建築物を多数組み合わせて、どこかありそうだけどどこにも無い空想上の建築物を製作されたようです。
「ありそうでどこにも無い」は、難しいテーマだと思いました。世の中の建築物を見渡すと、ハウスメーカーの量産住宅以外は基本的に同じものなど無いわけで、テーマとしては「当たり前」になってしまうような気がしたのです。
建築の分野でもアナロジーと言って、他の分野の構成や構造を建築に応用することがあります。例えば、植物。材料の生産性の効率や工法などから、基本的には直線でできた素材を組み合わせて建物を構成します。従来の様式にとらわれない植物の持つカーブ(自由曲線)の美しさなどを建築に応用することで、新しい芸術的な価値を生み出そうとして、19世紀末からアールヌーボーというムーブメントもおきました。
新しい概念を組み合わせることで既視感を無くすことはできると思いますが、先の運動も、建築界では装飾的な表層部分の表現に終わってしまい、建築の本質を問いただすまでには至りませんでした。
鈴木さんのもつ記憶を彫刻に落とし込む手続きの際に、彫刻としての強度を持つために必要な、素材や構造上の制約が強すぎて、その問題をクリアする過程の中で、既視感のあるものになってしまうのかなと思いました。
表現する媒体が彫刻が良いのか?絵が良いのか?はたまた映像か?記憶というあいまいなものをあいまいなまま、イメージに落とし込む表現方法を模索すると、その先に新しい発見が生まれるかもしれません。
ラウンジ
最後にラウンジにて少し本を読んで帰りました。
ACACでは毎回展示会の記録としてカタログを作成し、さらに年に1冊のまとめサッシも作っています。ラウンジではそのような過去のアーカイブを閲覧できるます。
また、展示とは別にアートにまつわる幅広い分野の書籍も充実しているので、一日中でもいられそうです。
子どもを遊ばせるようなスペースや
bancafeというカフェにて飲み物や軽食も注文できるので、読書環境は充実しています(笑)
街中とは少し離れた場所にありますが、アートと自然に囲まれて少しゆっくりと時間を過ごしたい時には、とても良い場所です。
国際芸術センター青森/ACAC
住所:青森市大字合子沢字山崎152-6
未完の庭、満ちる動き
2018.7.28-9.9
10:00-18:00